Re-FRAME

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明治に記された『現代日本の開化』が示す未来

(一)

 夏目漱石著『現代日本の開化』は明治44年(1911年)に大阪朝日新聞社主催の関西講演会で行われた講演筆記を改稿した評論である。私がこの著作にふれたのは、高校生だったか大学生だったか。印象として、正直ピンと来なかった。題名にある「現代日本」とは明治末の話であり、維新後文明開化の世になってから100年以上経っている「現代」に身を置く者として、西洋文明と対峙する衝撃など想像できなかった。普段意識することはないが、西洋文明は我が血肉となって確かに息づいている、そのはずだった。

 しかし、社会人になって働くようになると見方が変わる。『現代日本の開化』の「現代」とは、この令和の時代でもあり、あるいはこの本を手にして読者が読むその時代時代、この先の未来をも含めた時代を指しているのではないか。そんな気にさえ、なってきた。いや、初めから著作の中で漱石はこう述べている。日本の開化は「外から無理押しに押されて否応なしにそのいう通りにしなければ立ち行かないという有様」とし「外発的」だとした。そして、

 

時々に押され刻刻に押されて今日に至ったばかりでなく向後何年の間か、または恐らく永久に今日のごとく押されて行かなければ日本が日本として存在できないのだから外発的というより外に仕方がない。

(下線は著者による。夏目漱石現代日本の開化」『私の個人主義』1978年、講談社学術文庫

 

 私が社会に出て感じているある種の諦観、息苦しさはこの文章に端的に表れている。

別冊太陽「夏目漱石の世界」表紙。漱石といえば右ひじをついて物思いにふける写真が有名だが、あの写真は大正元年9月、明治天皇大喪時のもの。『現代日本の開化』の講演の翌年明治45年に明治天皇崩御大正元年改元される。

(二)

 ここで述べられている日本に開花への刺激を加える「西洋文明」を、構造的に捉え直して現代の言葉に置き換えるのならば「先端技術」や「成功事例」といって差し支えない。私が指摘したいのは「先端技術はいつの時代にも存在する」という自明の理である。だから、「常に開花は外発され続ける、この先の未来においても」ということである。

 さてここで維新後の日本の変革期の考察からではなく、日々仕事に勤しむ一人の社会人の目線から漱石の主張に賛同してゆきたい。

 企業が新しい事業を営むとしよう。そのプロジェクトを推進するにあたってまず取り組むのが成功事例の収集であり、先端技術の確認である。自分の考えやそれに基づく計画、実施する事柄をゼロから立ち上げること、試行錯誤することは非効率的だとされる。まずは各社がどう取り組んでいるのか、その調査をしなければならない。効率重視で最大限の成果を挙げることが求められる現代社会において、よく言われるところの「TTP(徹底的にパクる)」が持て囃されている所以がそこにある。

 なるほど今の時代、Googleに聞けば欲しい情報にあたりをつけることができる。地球の裏側にいる企業や人の考えも、有史以来の技術革新とその変貌も、そして最先端技術もスマホから手に入れることができる。であるならば、そのノウハウ・情報をトレースすることが事業を進める第一歩にならざるを得ないのである。

 最先端技術にふれた後については、個々人の価値観によって反応が分かれるかもしれない。外発によって成果を挙げることを万々歳とするのか、あるいは味気なく感じてしまうのか。漱石はこう述べている。

 

こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐(いだ)かなければなりません。それをあたかもこの開化が内発的ででもあるかのごとき顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。それはよほどハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。軽薄でもある。

(前掲書)

 

 と、辛辣だ。「虚偽」や「軽薄」とまでは私自身は言えないが、そんな外発を受け身的に捉えて仕事をしても面白くないとは感じている。「空虚の感」は間違いなく実感している。

 全くの逆パターンとして、ゼロから試行錯誤しながら、しかし自分なりに「内発的」に取り組んだ後に、後から成功事例を知り、慌ててやり直したり、方向転換をするときもある。

 会社として、社会人としては全くもってお粗末だが、取り組んでいる当の本人としては「早く教えてよ」と思いながら、どこか清々しかったりするのは私だけだろうか。「ここまでは自分でやったが、そんな方法があるのか。なるほど、助かった」と、始めからこの方法を真似しようとする場合と比べて、有難さがまるで違ってくる。

夏目漱石『私の個人主義』(講談社学術文庫)には『道楽と職業』『現代日本の開化』『中身と形式』『文芸と道徳』『私の個人主義』が収録。本文引用はこの本をテキストとした。

(三)

 今や技術やノウハウは社会の共通財産としてできるだけ公開・共有する流れであり、技術の進化は凄まじい。いつでもどこでも情報は瞬時に手に入る。もちろん、利便性は過去のどの時代よりも優っているが、反面、目に見えないどこかの誰かと競い合っている気にもなってくる。これほどの情報過多の時代、真に「新しいこと」「誰もやったことのないチャレンジ」というのは皆無なのではないかと思えてしまう。では、どうすれば。

 

これを一言にしていえば現代日本の開化は皮相上滑りの開化であるという事に帰着す るのである。(中略)しかしそれが悪いからお止しなさいというのではない。事実已むを得ない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないというのです。

(前掲書)

 

 漱石の悲痛な嘆きは100年以上経っても事態が変わらないことを鑑みるに、外発的な開化という呪縛から解放されることはこの先もないのであろう。

 

ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前申した通り私には名案も何 もない。ただ出来るだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化していくが好かろうというような体裁の好いことを言うより外に仕方がない。

(前掲書)

 

 と、『現代日本の開化』は締めくくられている。

 明治の時代より技術が進み、世界中の人々が情報を即座に手にすることができるようになった。その意味において、この「上滑りの開化」は明治日本という地域や時代から溢れ出し、現代とこの先を生きる全ての人々に共通する「涙」と言えるのではないだろうか。