Re-FRAME

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深夜、山中の祠(ほこら)でぶら下がるモノ

 あなたはお化け、妖怪、幽霊、その他怪異なるモノは好きですか?私は好物です。でも、言うほど信じていません。「自分が感じたモノ」や「自分が信頼する人が見聞きしたモノ」以外は…。

 これは取引先の社長から聞いた話。社長の趣味は鮎釣り。その日は早朝から釣りをしたいために深夜に車を走らせていた。目指す釣り場は山奥のさらにその奥に流れる川の上流。何度も通ったその山道は道路照明も乏しく、車のヘッドライト頼り。くねくね回る細道で、対向車線から車が来ることはまずない。その日もただ一台だけで山中を深夜走る心細さを胸にしまってハンドルを握っていた。

 その山道の途中にいつも目印としている場所がある。それは祠だ。正確に言えば、たぶん祠だと社長が思っているだけで、実際は祠なのか神社なのかはよくわからない。わざわざ車を降りて訪ねたことはなく、通過するだけだから。

 山の切り立った斜面に面した道ではあるがその祠の場所にはぽっかりと若干の土地がある。走る車から見かけるだけなので形が鮮明としない祠、そして色褪せている上に所々が破れて何が書いてあるかわからない幟(のぼり)が数本、そして祠を照らす照明灯が1本…。

 車を走らせながら、やがてその祠の照明灯が遠くに見え、だんだん近づき、そして通り過ぎたとき、社長は目を疑った。「えっ?」と声が出て、思わず振り向いた。

 

 祠の入口に、大きな投げ縄がだらりと―

 

 それは出雲大社にある有名なしめ縄ほどの太さ・大きさで、にも関わらずきちんと大きな輪ができていたとか。祠の前に垂れ下がるモノであるので恐縮だが、社長は首吊りのそれに見えたそうだ。

 そして、何より不思議なのはその祠周辺には木も何もなく、そんな大きな縄をぶら下げて掛けるようなものはないということだ。

 混乱した社長は運転中なので一瞬しか振り返ることができなかったが、そのときはただぼんやりと照明灯の灯りしか見えなかったそうだ。

 

 怪談としてはパンチに欠けるかもしれない。訳の分からない荒唐無稽な話に聞こえるだろうか。しかしこの支離滅裂な現象だからこそ、社長をよく知る私としては「この人は何かにあったのだろうな」と思った。

 あと妖怪好きとして一つ気になることがある。妖怪の中に、上から下りてくるモノが全国に様々なバリエーションで伝わっている。つるべ火、つるべおとし、さがり…。いずれも山中や森、街中で怪火や人の首、馬の首や馬の足などの妖怪が人を驚かしたり、喰ってしまったり、または出会った人が体調を悪くするという伝承だ。さらには高知県幡多郡では茶袋が、長野県には薬缶がぶら下がっている怪異があるという。八百万(やおろず)の神々と同じく、数多ある妖怪の形態の中でこの下りるモノは一つの類型に収められる。

 では社長がそんな妖怪の知見があったかどうか。ありはしない。ありもしないのに、同じようなモノと遭遇してしまった。そこに私はとても興奮した。

水木しげる著『決定版 日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様』より「さがり」。岡山県邑久郡の榎の枝に馬の首だけがぶら下がって、人を驚かせた伝承がある。熊本県玉名郡南関町でも馬の首の妖怪が伝わっている。