Re-FRAME

本や映画、歴史、旅、社会のありようを感じたままに。

歳を経て本が益々愛おしい

 思えば人生の諸先輩方はよくおっしゃっていた。「本の主人公になれば自分とは違う人生を歩むことができる」「本には人類の叡智がつまっている」など。私の場合、それらの言葉の意味は理解できるものの、どうもピンと来なかった。少し大げさな感じがしていた。しかし、40代にもなるとこの言葉が肌身に直接ふれるような、毎日の暮らしの中で実利をもたらせてくれるような真理として、自分の血肉となって息づいている。

 

一.「本の主人公になれば自分とは違う人生を歩むことができる」

 例えば子どもの頃は権謀術数渦巻く歴史が好きで、いつか自分が「大人になったとき、何かの役に立つのではないか」と意識していた。わかりやすく言えば歴史を学ぶことで「天下が獲れる」のではないかと思っていた節がある。しかし、情けない話だがこの歳になると私が信長や秀吉と覇を競う“ような”ことはないだろうと感じている (話が歴史になってしまったが「歴史=本」としても、このブログでは全く差支えがない)。

 では歴史に興味がなくなったのかと問われれば、迷うことなく「否」と答える。今後不安定性が増す未来において歴史に学ぶことはあるだろう。そして、歳を重ねたことで増す歴史の魅力として、自分の生きる時代とは異なる時代に、自分が会うことがかなわなかった人に、価値観に、文化に、地域にふれられることがあげられる。

 幼少期、あるいは学生時分において自分の可能性は大きく広く拡がっていた。やがて歳を追うごとに可能性が狭まった時、自分が歩むことができなかった人生を追体験させてくれるのが本だと最近つくづく思う。いや、年齢に関係はないかもしれない。人生はたった1度。時代や環境を選ぶことができない中で、1度の人生の中でどれだけの経験を積むことができるのだろうか。本は自分の人生を豊潤なものにしてくれる。恋愛がしたければ恋愛小説を、探偵になりたければミステリーを、戦がしたければ戦記物を、男性は女性になれないし、その逆もしかり。読書をすることで法廷に立つことも、妖魔と戦うことも、貴族からもらった和歌に返歌することもできる。

 

二.「本には人類の叡智がつまっている」

 知りたいことがあればネットで検索するのが手っ取り早い。だがネットには玉石混合、あらゆる情報が溢れかえって氾濫している。悪意ある情報、フェイク、プロパガンダ、無責任な匿名者が発信する情報も含まれている。

 本においても偽史や怪書といった類の書籍もあるが、玉石混合のネットに比べ、本は内容が精製されていると言ってよい。簡単に言えば、作者が名を名乗り、出版社が内容を精査し、世に出す価値があるかどうか=売れるかどうかの審判を受けて初めて出版されるからだ。あるいは誤った情報、不適切な表現もあるだろう。しかし、それは無責任な記述ではなく、覚悟を持って世に問うた著者の記述だ。著者は社会的な制裁、歴史の審判を受ける覚悟を持って出版しているので、情報の価値としての純度は高い。

 加えて、本は時間の流れに精製され続けていることも見逃せない。平安時代紫式部や紀元前に生きたアリストテレスの著作が現代も残っているのは、その時代の特殊性が化石のように現存しているからではない。時代を超えて普遍的な価値が認められ、だからこそ刊行された直後から読み伝えられ、先人たちの努力によって現在の私たちも本屋や図書館で手にすることができるというわけだ。

 紀元前に存在した世界のあらゆる書籍を収集したと言われるアレクサンドレア図書館は戦火によって灰となってしまい、時の為政者による焚書も度々ある中で(本は火に弱い)、現存しているということ自体、その書籍が持つ強靭な生命力というものを感じざるを得ない。絶版された著作、現存していない書籍に価値がなかったとは決して言わないが、残っている本にはそれだけの理由があるということを、自明の理ながら指摘しておきたい。

 

 

 本にはこれまでの人類の歩み、時代や地域文化を横断して、自分の周辺にはいない人々の考えや価値観が込められていると実感できたとき、私は大いに心安らぐ思いがした。自分が抱えている悩みに対する答えは本屋や図書館にきっとあるだろうと。ネット検索下手である私にとって、これは非常にありがたいことだ。

 人類の歴史の中で精製された膨大な著作物から私の暮らしのヒントとなる情報を見つける・出会うことは容易ではないこともある。簡単に見つかることもあるが。せっかく為になることが記述されていても私の読解力では理解できないこともあるだろう。しかし、人類のこれまでの経験や叡智に学ぶことができるという信頼感は、私の場合理屈を超えて精神衛生上の安らぎをもたらしてくれた。

 私のブログは本ではないし、大層なことは書けずに時を経て霧消してしまうだろう。だが、そんな私の文章にも関わらず読んで頂いている方には心からの感謝を申し上げる。さらに、読んで頂いた方の心にほんのわずかでも何かを感じて頂けたなら(批判でもかまわない)こんなに嬉しいことはない。

 本のありがたみを体感しているからこそ、読んで頂いた方の心に一瞬でも何かを灯すことができたらと思いつつ、これからも書いていきたい。

アレクサンドリア図書館は破壊されたが、2001年に再建。日本で置き換えるなら国立国会図書館(写真)になるだろうか。 日本国内で出版された全ての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館。 Photo 写真AC https://www.photo-ac.com/
Special thanks to Reelenさん