Re-FRAME

本や映画、歴史、旅、社会のありようを感じたままに。

トリビュート・鳥山明

 映画『SAND LAND』上映のニュースが飛び込んだとき、私はふと思った。「鳥山明版の『火の鳥』が見てみたい」と。ここで言う『火の鳥』とは手塚治虫原作作品を鳥山明にリメイクしてほしいという意味ではない。手塚治虫がライフワークとした『火の鳥』に当たるような作品を鳥山明に作ってほしい。それを読みたいという意味だ。現在の漫画・アニメ界への鳥山明の影響を考慮すれば、彼が新作を作ると言ったとき、誰がそれを無視できようか。界王拳4倍かめはめ波級の圧倒的破壊力で社会を席巻した鳥山明なら集英社に限らず、どこの出版社でも、ドラゴンボールをかき集めてでも、自社で売りたいはずだ。そんな絶対的な人気があるからこそ、鳥山明自身が描きたいものを、描きたいだけ、漫画にできるはず。そのとき、鳥山が何を描くのか読みたかった。

 そんな想いを巡らしていたちょうどその頃にYouTubeで少年ジャンプ伝説の編集者・Dr.マシリトこと鳥嶋和彦の動画を視聴する。鳥山明の漫画家デビューの話、アラレちゃん連載終了の理由とドラゴンボール開始までのエピソードなどをその動画で知る。元々は地元の広告代理店でイラストレーターとして働いていたが社会生活に馴染めず(具体的には朝起きられなかった)、職を辞して無職で無為に時間を過ごしていた。時間つぶしの喫茶店で手にした少年ジャンプの作品募集に応募したのがデビューのきっかけだった。

 つまり漫画家になりたくてなったわけではなく、いわば食うために自分ができることで稼ごうとした消極的な理由で漫画家の扉を開く。私はそのエピソードを知ることで、鳥山明版ライフワークとなる作品は無理だと思った。「そもそも描きたいものがないのでは」と私は感じた。しかし、それを私は批判したり、絶望する気は毛頭ない。

 なぜなら彼が最も得意として描きたかったイラストレーター的な珠玉の作品をそこかしこに描きながら、漫画を紡いでくれたのだから。鳥山の真骨頂と呼んでいいイラストはコミックスの扉絵や各話の巻頭ページイラスト、少年ジャンプの表紙などで見ることができた。そんなイラストたちによって私たちはまるで仙豆を口にしたような満足感を味わいながら、鳥山の描く漫画に没入した。鳥山のデビューに至る経緯とデビュー後の苦闘、そして彼の作品がもたらした社会的熱狂の只中に身を置くことができた幸福を合わせ考えると、私の「もっと新作が読みたい」という願望を遥かに上回って、胸がパチパチするほどのただただ感謝の念しかない。

 最後に私と時代を同じく生きた少年ジャンプ購読者が「そうそう」と頷いてくれるエピソードを。絶大の人気を誇った少年ジャンプだったので毎週月曜日販売をフライングして販売するお店が当時あった。そこは本屋だけではなく、酒屋さんや煙草屋さんだったり(コンビニなるものが世の中にでるかでないかの時代)。そんなお店を我々小学生はガキんちょなりに「ルールを守ってないんだろうな」という“気”を感じていた。本屋の場合だと、店頭や本棚、ラックにはなく、レジの人に「ジャンプありますか?」と土曜日聞くとレジの下にある棚からこっそり出して売ってくれた(確か土曜日だった気がする)。

 そして、月曜日より早く入手できた当時の子どもは月曜日終日ヒーローになれた。周りから「ドラゴンボールどうなった?」と聞かれるのだ。そこはバトル漫画の金字塔の『ドラゴンボール』。返事として「めっちゃベジータ強えぇ!」。そのたった一言で私たちは十二分に満足できた、そんな稀有な作品だった。

鳥山明DRAGON BALL 17』1989年、集英社

安土城で見つけた信長と職人の攻防

 安土城の説明は省略させていただく。旅先で訪ねたときの話を書きたい。

 本能寺の変後、次の天下の趨勢を決める明智光秀羽柴秀吉が争う山崎の戦い後まもなく、安土城は消失してしまう。理由は諸説あるが今だによくわかっていない。現在、城跡には天守閣跡まで続く大手道と呼ばれる石段があり、観光客が登れるように整備されている。その道に沿って建てられた信長配下の武将屋敷跡を訪ねるだけでもその規模が感じられ、往時を偲ばせてくれる。安土城東口・料金所より入城して登り始めてすぐ、秀吉の屋敷跡があり、「前田利家邸はここ」「織田信忠邸はあそこ」と当時の織田家の序列が感じられた。また、安土の山の木々や鳥のさえずり、季節によっては蝉の声、秋虫の音などが、過ぎ去った時の長さによって育まれた自然のように思えて興をそそられる。

絢爛豪華な安土城だったからこそ、天守が復元されない城跡として残っていることに 個人的には趣を感じる。 Photo 写真AC https://www.photo-ac.com/ Special thanks to あけびさん

 安土城のメインストリートとも呼べる大手道は幅が広く、6mもある。その石段を登り始めると、端に何やら看板が置かれているのを目にした。看板には「石仏」と書かれており、簡単な解説が書いているものもあった。その看板の前や横の石段は何やら凸凹して、周囲の石段とは異なる。だが、長い年月の風雨にさらされ摩滅してしまい、何の跡だが判然としない。疑問に思って解説に目を通すと、背筋が冷たくなった。

 

 安土城築城工事の際に石垣や石段の資材が足りないため、周辺の村や町から墓石やら石仏が使用されたと書いてあった。人や馬が行き来する足元の石段に石仏が利用されていたのだ。

 令和に生きる信仰心の薄い自分でも、思わず眉をひそめた。脳裏に浮かんだ言葉は「第六天魔王」。天台宗の総本山の延暦寺を焼き討ちした信長らしい所業だと思った。とはいえ、築城を任されたのは丹羽長秀。信長の指示か、あるいは工期に間に合わせるための長秀の手配で行ったのかはよくわからない。ただいずれにしろ、信長の合理主義かつ神仏と敵対することを恐れない信長の精神性とは何ら矛盾しない石仏の石段に私には感じられた。後になって知ることだが、石材確保のために石仏や墓石、石臼を用いた城はほかにもよくあるそうだ。また、一種の魔除けの意味合いもあるのだとか。

安土城の大手道石段に石仏が敷かれていることは現地で初めて知ったので、本当に驚いた。 Photo 写真AC https://www.photo-ac.com/ Special thanks to あけびさん

 登りながらあることに気付く。所々にある石仏のほとんどが幅広い石段の端。しかも、仏が刻まれていたであろう表面を上にして人の目に見えるようにしてある。これはどうしたことだろう。

 文献資料などで確認できなかったが、私の直感はこう囁いている。石仏が人に踏まれるのが忍びなかった職人ができるだけ通行量の少ない端を選んで施工したのだろう。そして、そこに石仏があることを知らしめるために、敢えて表面を上にした。裏面を上にして仏様を下にして土に埋めて石段に使用すれば、人はただの石として呵責なく踏んで歩くだろう。中央に設置すれば人はそこを避けて通らなければならないし、信長であれば無視して踏み登ってゆくだろう。石仏を端に置き、仏身を天に向けたことは仏への信仰心からなのか、工事をした自分への天罰を恐れてのことか。あるいは職人の手配ではなく、その上長であった管理者による指示かもしれない。

 

 そして私に残された最後の想像の楽しみが「信長はこの石仏に気付いたかどうか」。駕籠か騎馬かで登り降りしたであろう信長が、この端にある仏を目にしたかどうか。注意深い人なので(あったことはないが)、あるいは目ざとく気付いたかもしれない。安土城完成後は隅々まで内覧して目にした機会もあったかと想像もできる。

 さらに、石仏を見たとしたら信長はどう思ったか。苦笑して赦したか、眉一つ動かさず心中に一滴の波紋も残さず無視できたか。彼がどちらでふるまうにしろ、なぜか織田信長という強烈な個性を前にして「信長らしい」と、人は印象を持つであろう。

 

※城に用いられる石仏の背景には諸説あります。

 私の主観と想像を逞しくして書いています。

『空母いぶき』と『鳴かずのカッコウ』の接点

 仰々しくタイトルを付けておきながら、かわぐちかいじの漫画『空母いぶき』と手嶋龍一のインテリジェンス小説『鳴かずのカッコウ』の2冊を読んだ方なら、「接点」が何なのかはすぐにわかるだろう。

 『カッコウ』の主人公は神戸公安調査事務所で働く新人青年。以下は本作のクライマックスになるので、ネタバレになることをご容赦頂きたい。

 神戸を舞台にアメリカと中国が非公開極秘接触をしていた。同盟関係にある日本にも内報せずに。米ソ冷戦時代もそうだったように、対立する超大国同士は不測の事態に備えて公式の政府間だけではない、独自の非公開極秘チャネルを築く必要がある。その動きを日本の公安がキャッチしたという物語だ。

 物語では米中諜報当局が人質交換交渉のためにチャネルを築いたとあるが、それは喫緊の外交問題解決のためであって、この接点は今後の米中交渉に重要な役割を果たすことを想定してのことだ。物語では例を挙げている。

 

尖閣諸島周辺に中国の漁船が大挙して押しかけて居座っていることはご存じですね。海警局の警備艦も周辺を動き回っています。たとえば、ここに猛烈な台風が来て、中国の漁船が尖閣諸島に上陸したとしましょう。海警局の乗組員も上陸して彼らを保護せざるをえない。そうなれば日本政府はどうしますか」

「そんなことが起きれば、中国側に厳重に抗議して、直ちに退去を求めるでしょう。もしも中国側が拒めば、武力で排除せざるを得なくなります」

「その時、アメリカはどうするか。日本が実効支配する尖閣諸島で日本が中国と戦闘状態に入れば、アメリカは、日米安保の盟約に従って、日本の側に立って戦わざるをえない。しかし、いくら重要な戦略拠点とはいえ、アメリカ国民の大半が名前すら聞いたことのない尖閣諸島を奪還するために中国と干戈を交える、そんな事態はなんとしても避けたいはずです」

「だから米中は密やかなチャネルを開けておきたい。一種の保険として。(後略)」

手嶋龍一「第八章 諜報界の仮面劇」『鳴かずのカッコウ』(2021年、小学館

 

 この公安当局員と英国諜報部員の問答こそが『いぶき』との接点だ。『空母いぶき』では、中国の漁民に扮した工作員が遭難を装って尖閣諸島に上陸し、日本の海上保安庁の身柄確保を断り、中国海警局の保護を求めるシーンから物語が始まる。出版時期の時系列で言えば、『空母いぶき』の連載が2015年で『カッコウ』より先だ。漫画を読んだ私は「なるほど、そんなリスクもあるのだな」と呑気に感心したものだ。

 この2作品の接点の通り、相手国領土内の住人や民族の保護を目的として軍を派遣したことにより、紛争や戦争のきっかけとなった事案で歴史は塗り固められている。軍事行動を起こすに当たって、人命の救出、人権の保護ほど聞こえの良い大義名分はないのだろう。さらに拡大解釈を施せば民族自決や民族解放運動につながる。

 近現代だけでも、オーストリアチェコスロバキアのドイツ人の保護を訴え進軍したナチスドイツ、日本の大東亜共栄圏構想も欧米列強から虐げられたアジア民族の開放を謳っている。現在進行中のイスラエルパレスチナの戦いも先に攻撃したのはハマスとはいえ、イスラエルは人質解放のための戦いを標榜している。

 ロシアによるウクライナ侵攻もこのケースに当てはまる。ウクライナ固有の領土である東部2州の新ロシア派の住民がネオナチによって蹂躙されているというプーチン大統領の主張によって引き起こされた侵攻は2024年2月で丸2年経とうとしている。(正確に言えば、東部2州の要請を受けてロシアは「特別軍事作成」を開始した)

 このように歴史に学ぶのであれば、『空母いぶき』と『鳴かずのカッコウ』の接点はポリティカルフィクション漫画とインテリジェンス小説というジャンルを超えた偶然ではなく、人類史の宿命がもたらした必然であると言えるのではないか。

かわぐちかいじ『空母いぶき(1)』(2015年、小学館)、手嶋龍一『鳴かずのカッコウ』(2021年、小学館) 現在連載中の『空母いぶき GREAT GAME』は今回紹介した『いぶき』のセカンドシーズン。舞台が異なります。 ※InstagramやXでも藤江文丞のアカウントで蔵書や映画の感想などを投稿しています。

仕事には貴賤があるから平等を叫ぼう

 仕事に貴賤を感じてしまう自分が嫌だった。だが、結論から言うと貴賤はある。その貴賤を認めた上で「仕事は平等である」ということをここでは書きたい。「仕事には貴賤がある」ことを否定したいがために、「貴賤がない」と声高に叫ぶこと自体、もう既に「貴賤がある」ことを認めてしまっているようなものだという、言葉遊びのような結論に私は至った。

 例えば、前提として「仕事に貴賤はない」と考えているとする。次に、仮定として「米国大統領と名古屋市市長どちらが貴いのか」と考え、前提を立証しようとする。だが、この2者の貴賤を投げかけた時点でもう既に大統領と市長は事前に比較され、「大統領がエライ」と認識されているのではないか。それはもう貴賤があると認めてしまっている。

 一方で違う例えを挙げるなら河原の「石ころ」とその裏に生えている「苔」。この2者に貴賤は決められない。判断者が何か基準を設けるか、あるいは自分の好き嫌いで勝手に決める。人によって判断は異なるだろう。

 先の大統領と市長の貴賤の問いに対して一般大衆の大多数が「大統領が貴い」と答えるのであれば、その事実を前に「いや、それは間違っている。貴賤はない」と主張するのは綺麗事に過ぎない。だから私は仕事の貴賤を認めるに至った。しかし、それでもなお「仕事は平等である」と私は主張する。それは森博嗣著『「やりがいのある仕事」という幻想』(2013年、朝日新書)という一冊から学ばせてもらった。

 このように書くと紹介した著作には「仕事に貴賤はある」と書いてあるように思われるかもしれないが、その逆で「まえがき」の「職業に貴賤はあるか」という章に「そもそも、職業に貴賤はない」と断定している。その根拠についてはここでは引用しない。また、私が「貴賤はある」と考えた経緯も既に述べた。どちらが正しいかを争うつもりもないし、それは読者それぞれに考えて決めていただきたい。

 ただ、私が学ばせてもらったのは以下の箇所だ。

 

 階級社会というものが世界のどこにでもあって、そこでは自由に職業を選択できない。日本でいえば、かつては武士は武士であるし、農民は農民だった。どんな仕事に就けるかが、差別の対象となっているわけだ。勝手に職業を変えられては、社会の秩序が崩れてしまう、と考えられていた時代だった。

 本当に、つい最近までそうだったのである。(中略)数十年まえまで、そういう社会は世界のどこにでもあった。実は今でも、まだどこにでもあるけれど、先進国では少なくとも憲法というものができて、「人は皆平等である」と定められた。そもそもこのように憲法というものを持ち出さないと守れないほど難しい認識だった証拠でもある。

 森博嗣「第1章 仕事への大いなる勘違い」『「やりがいのある仕事」という幻想』(2013年、朝日新書

 

 大雑把に言えば、「人は皆平等ではない」からわざわざ各国の最高法規憲法に「人権は皆平等だ」と謳っているのだ。「差別」や「貴賤」という言葉は既に現実社会に存在していた古い言葉であり、それに対して「平等」という言葉は従来はなかった新しい言葉として誕生したのではないか。それはおそらく「人権」や「自由」「平等」が叫ばれたフランス革命前後に生まれた言葉であり、概念なのだろう。(「おそらく」「なのだろう」と推定した書き方をしているのは、「平等誕生」は本ブログの趣旨ではないため、詳細に調べることは放棄することを断っておく。歴史の教科書で得た知識の範囲で書かせてもらった。)

 この「平等」という概念が発生した歴史を踏襲して、本ブログのタイトルである『仕事には貴賤があるから平等を叫ぼう』につなげたい。私は「貴賤がない=平等」と考えることができなかった。どうにも理想論に思えたからだ。だが、森博嗣氏の著作をきっかけに納得できたの「貴賤がある→平等」という工程を踏むことだった。いわば「仕事の貴賤観」をそのまま認めた上で、だからこそ平等でなければならないと訓戒することが本当に大切なことだと私は思う。

 『「やりがいのある仕事」という幻想』にもいくつかの職種間での「貴賤がない」例が書かれていたが、極端に言えば社長も新人社員も平等なのだ。それぞれ役割が違う、仕事が違うだけで平等であるべきなのだ。仕事が違えば当然成果が変わるわけで、会社に対する貢献度も異なる。でもそれだけだ。会社の指揮命令系統を明確にするため、上司・部下と階級が決められるわけだが、それは貴賤とは別の話だ。そして、さらに会社業績への貢献度によって給与は決まるべきである。そこにはやはり貴賤は関係ない。例えば社長という椅子に座して何もしない人物であれば、新人社員より給与は低くなければならないと私は考える。

 

 仕事観における「貴賤」の存在をまず自覚すること。そこから「貴賤」を否定して「平等」であることを自らに、周囲に戒めることで社会は今より間違いなく生きやすくなる。会社や仕事、組織を貴賤で捉えるから主導権争いに明け暮れたり、ハラスメント事案、いじめなどにつながるのではないか。平等であれば、互いの仕事に敬意を持つことができる。互いの仕事を尊重できれば双方にとって最適化された工程やコミュニケーションで業績を収めることができるのではないか。

 「仕事の平等」という概念は働く現場や実務だけに有用なのではない。A社・B社・C社と会社規模や業績、企業イメージが異なる中でどこに勤めているかと尋ねたとき、あるいはどこに就・転職したいかを考えたとき、「貴賤」の概念が頭のどこかにありやしないかと。どの会社も同じではないが平等だと理解できれば、本当に自分のやりたいことや自分が大切にしているライフスタイルを基準に会社選びの選択肢が増え、働くことができる。また、各国政府も仕事の平等を守護し育成に努めれば、民間をコントロールし税金を徴収することだけに注力しなくなり、国民主権の政治につながると考えられる。

 自分の上司に対していきなり「あなたと私は平等だ」と宣言しても煙たがられるだけだろうし、実現したければそれこそ革命なり、“倍返し”でも起こさなければならない。だが、少なくとも私は上司や同僚、部下、取引先と接する際には「仕事には貴賤があるから平等でいこう」の精神で働きたいと思っている。

参考文献:森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』(2013年、朝日新書

 

 

アメリカにとってゴジラは神たり得るのか 『ゴジラ―1』の私的所感

(ネタばれ含みます)

 前作『シン・ゴジラ』に続き、最新作『ゴジラ-1(マイナスワン)』でも東京は蹂躙され、作中で日本人は何度も絶望に叩きのめされる。全ゴジラシリーズを鑑賞した私の所感としてこの2作品はこれまでのゴジラ映画とは一線を画している。

 日本人にとって『シン』と『マイナス』ゴジラは災厄の象徴として描かれているのではないか。もはや生物・怪獣という範疇を超え、鬼神にすら私には感じられた。そして、この印象は私だけのものではなく日本人であるなら共感して頂ける方もいるのではないかと考えた。汎神論的日本人的なこの印象は、海外の人にも伝わるのであろうかと疑問に思い、しばし書いてみたい。

 

一.シンゴジラとマイナスワンゴジラの特長

 人類側から見れば「巨大生物」としか認識しようがない存在だが、その形状・生体は生物の常識を超えている。ゴジラが映画作品であるため、「常識を超えている」と表現しても「それはフィクションだから」と片付けられるのだが、ここでは映画作品に没入して、作品内で生きる人間の一人として考察したい。

 シンゴジラでは第一形態から第二・第三と短期間で急激に進化。さらにヤシオリ作戦による凍結したゴジラの尻尾先端部には人型と思わしき、数体の生物が誕生しようとしていた。また背びれや尻尾先端部からの放射熱線照射は、口からの照射と比較して理解の範疇を超えている。そもそもなぜ口からあれほどの破壊力を伴う熱線が出るのかもわからない。だが、わからないなりに「体内で派生するエネルギー」「体内とつながる開口部」「呼吸機能」からまだ辻褄の合う(?)攻撃だが、どうして熱線が尻尾の先や背びれから出るというのか(ゴジラファンには度肝を抜かれたシーンだった)。

 マイナスワンゴジラでは放射熱線照射時に、背びれがまるで銃のトリガーのような働きをしていた。映画のラストでは頭部が吹き飛ばされ、深海に沈むゴジラだが蘇生しようと動き始める(ゴジラ映画エンディングのお約束ではあるが)。

 物理攻撃によるダメージによってゴジラは活動を停止するが死には至らず、生物の常識外の存在として描かれている。そして廃墟とかした東京に、日本人なら大火や地震津波先の大戦による空襲を想起してしまう。甚大な災厄を前に、私たち日本人はどうしてこうなってしまったのかとその意味を考えてしまう性質がある。生きとし生ける物はもちろん、命ない万物にも神を感じ取る汎神論の世界で生きる我々にとってゴジラは形而下としての存在だけではなく、形而上の災厄の象徴としてみてしまう。

 

二.アメリカ映画における“災厄”の類型

 さて、次にアメリカ映画にとって災厄とは何かを考えてみたい。全てのアメリカ映画を鑑賞・検証したわけではないので、ごく大雑把に私の主観でアメリカ映画に出てくる“災厄”を類型すると、3類型に分類したい。

1.ヒト型

 テロリストや犯罪者、『バットマン』に出てくるジョーカーといった“怪人”系、「何かと戦わない映画」なら家族や友人、学校の先生も災厄・悪役になりえる。

 私の場合、このヒト型に宇宙人やホラー映画の敵役も含まれる。ヒト型というのは知的生命体や“元”知的生命体、知的生命体に値するロボットも指し示している。トランスフォーマーもゾンビもジェイソンもターミネーターもプレデーターもダースベイダー郷もヒト型に分類する。

2.自然型

 アメリカ映画にも自然災害は容赦なく襲い掛かる。隕石、竜巻、火山、ウイルス、寒冷化など。『タイタニック』は自然型に分類してもいいのでは思うが、どうであろうか。

 キリスト教では「自然」は「野蛮」であり、「神の恩恵の届かぬ領域」であるため、人はこの自然を克服しなければならないという考えが基本的にある。人知を介して自然をコントロールすることが人の使命であるというのが根幹にある(あるいは最近の自然破壊により変化しつつあるかもしれないが)。

 それだけに自然災害を何かの象徴、超自然的な存在による何かの発露とする表現はあまり見られない。自然と分類しておいて「超自然」という概念を使うこと自体、矛盾しているのだが、日本人に見られるような自然災害に意味を持たしたり、何かの意思を感じることはないのではないか。「このままではまた災厄に襲われるのではないか」といった余韻を残す映画のラストもよくあるが、それは“何かからの警告”ではなく、“リスクヘッジ”として描かれている印象を持つ。

3.ゴースト型

 一神教キリスト教では神と人が中心であり、その外円に悪魔やゴーストが存在する。このゴーストは日本で言えば荒ぶる神の位置づけではなく、妖怪に近い。神より下等であり、人間からも怖れられるというよりも迷惑がられる存在だ。文字通り『ゴーストバスターズ』のキャラクターがそれにあたる。

 

三.アメリカ映画におけるゴジラのポジション

 結論から言えばゴジラは「2.自然型」に分類される。『ジェラシック・パーク』に出てくる恐竜と同じ扱いと私は見ている。恐竜をはるかに超える巨体、放射線によって備わった特殊能力・生命力は激越だが、あくまでも手の付けられない生き物。それがハリウッド版のゴジラ作品を鑑賞した私の印象だ。

 「GODZZILA」と表記したとき「神(GOD)」と記されているが、日本人が感じる「畏怖」の念はハリウッド版ゴジラの登場人物にはそれが欠如しているように見える。そこにあるのは「恐怖」だけではないか。

 キリスト教圏では「神」は1体しかない。それだけにアメリカ社会において、ゴジラは神たり得ない。しかし、映画製作陣の卓越した企画力と表現力によって力を得たゴジラは、アメリカの価値観を破壊しつつある。アメリカのゴジラファンの中にはハリウッド版のゴジラを「何か違う」「何かが足りない」と批評する人も多い。それは単に特撮技術やドラマ性の差異だけではないのでは、と考える。日本的なゴジラが象徴する神としての存在、畏怖の念がアメリカに芽生えつつあるのかもしれない。

山崎貴監督・脚本・VFXゴジラ-1』製作会社・東宝/2024年公開。映画館のPOPにて。戦後に廃墟「0(ゼロ)」となった日本がゴジラに蹂躙されることで 「-1(マイナスワン)」になった。作品タイトルで戦禍の被害とゴジラが対等に扱われている。

 

藤原氏はどうして「藤原」なのか

 奈良の春日大社を訪れたとき、藤の木がそこかしこに樹生していてふと思った。藤原氏が建てた神社であり、氏神でもある春日大社だから藤を大切にしているのだろう。ではこの藤たちは植えられたものなのか。あるいは生えていたものなのか。いやまてよ。そもそも歴史で学んだ大化の改新中臣鎌足がどうして藤原に改姓したのか。そして「藤原」という言葉はどこから来たのか。「名前が変わった」ぐらいにしか思わなかった歴史の1ページが、旅に出ると急に細かなところにまで気になることはとても愉快だ。高校時代は日本史ではなく、世界史を専攻したのでよくわからなかった。

 

一.藤原氏誕生

 中臣鎌足が669年10月臨終の際に、時の天皇天智天皇から大織冠(冠位の最上位、史上鎌足だけが授かった)を授けられ、内大臣に任命、「藤原」の性を賜った。のちの平安の貴族文化の頂点となり、武士が台頭するまでの権勢をほしいままにした藤原氏の誕生だ。

 では、どうして「藤原」なのだろうか。それは平城京に遷都される以前の飛鳥時代の,「藤原宮」に由来する。藤原宮とは『日本書紀』に記された当時の皇居を指す。余談になるが、平城京に遷都される前の都として「藤原京」があるが、藤原京は都そのものを指す言葉ではない。当時の文献にこの都を「藤原京」と表記されたことはなく、大正時代に普及・定着した学術用語として後世の私たちは藤原京と呼ぶようになった。

 では、藤原宮はどうして「藤原」なのか。『万葉集』にも地名として「藤原」「藤井ヶ原」が記載されており、もうこれ以上追うことは難しいようだ。ただ文献から放れ、自然豊かな奈良の山々に囲まれた古の都の跡地に立てば、山々に見える藤の花、草木の茂る野原が浮かび上がってくるのは私の勝手な想像だろうか。皇子や官僚たちが野遊びに興じる『万葉集』の件、古来歌い継がれてきた藤の花の和歌、そして今も広がる奈良の山々や森、草原が私の想像を生き生きと彩り、逞しくさせる。

 春になれば春日大社の奥の御蓋山の森が藤の花で覆われるそうだ。私が訪れたのは初夏だったので花は終わってしまって、見ることは叶わなかった。あるいはそれを目にすることができれば、「だから藤原氏なんだ」と理屈ではなく、合点していたかもしれない。

 

二.現代にも薫る藤の花

 藤原氏の家紋は「下り藤」であり、春日大社の巫女の簪にも藤を模した飾りがある。藤原氏の権勢とともに春日大社がますます壮麗になるなかで、藤の花を利用してブランディングされていったのだろう。昭和7年には日本初の植物園として藤の園を中心とした萬葉植物園もある。時代の変遷によって華やかになる春日大社だが、その原風景は大和の山々と野原、そして自然の恵みによって自生する藤の花なのだろう。

 安藤、伊藤、江藤、加藤、木藤‥藤が付く性は藤原氏に末裔だとか。大和の地で咲いていた藤の花は種々を飛ばして、日本を包み、現代にも息づいている。

 

いつ訪れても萬葉の古に誘う春日大社だがぜひ藤の花が咲き誇る春に訪ねてみたい。 Photo 写真AC https://www.photo-ac.com/ Special thanks toタゴールさん

<参考文献>

花山院弘匡『宮司が語る御由緒三十話―春日大社のすべて』2016年、中央公論新社

 

<参考>

ウィキペディア

春日大社ホームページ

橿原市ホームページ

歳を経て本が益々愛おしい

 思えば人生の諸先輩方はよくおっしゃっていた。「本の主人公になれば自分とは違う人生を歩むことができる」「本には人類の叡智がつまっている」など。私の場合、それらの言葉の意味は理解できるものの、どうもピンと来なかった。少し大げさな感じがしていた。しかし、40代にもなるとこの言葉が肌身に直接ふれるような、毎日の暮らしの中で実利をもたらせてくれるような真理として、自分の血肉となって息づいている。

 

一.「本の主人公になれば自分とは違う人生を歩むことができる」

 例えば子どもの頃は権謀術数渦巻く歴史が好きで、いつか自分が「大人になったとき、何かの役に立つのではないか」と意識していた。わかりやすく言えば歴史を学ぶことで「天下が獲れる」のではないかと思っていた節がある。しかし、情けない話だがこの歳になると私が信長や秀吉と覇を競う“ような”ことはないだろうと感じている (話が歴史になってしまったが「歴史=本」としても、このブログでは全く差支えがない)。

 では歴史に興味がなくなったのかと問われれば、迷うことなく「否」と答える。今後不安定性が増す未来において歴史に学ぶことはあるだろう。そして、歳を重ねたことで増す歴史の魅力として、自分の生きる時代とは異なる時代に、自分が会うことがかなわなかった人に、価値観に、文化に、地域にふれられることがあげられる。

 幼少期、あるいは学生時分において自分の可能性は大きく広く拡がっていた。やがて歳を追うごとに可能性が狭まった時、自分が歩むことができなかった人生を追体験させてくれるのが本だと最近つくづく思う。いや、年齢に関係はないかもしれない。人生はたった1度。時代や環境を選ぶことができない中で、1度の人生の中でどれだけの経験を積むことができるのだろうか。本は自分の人生を豊潤なものにしてくれる。恋愛がしたければ恋愛小説を、探偵になりたければミステリーを、戦がしたければ戦記物を、男性は女性になれないし、その逆もしかり。読書をすることで法廷に立つことも、妖魔と戦うことも、貴族からもらった和歌に返歌することもできる。

 

二.「本には人類の叡智がつまっている」

 知りたいことがあればネットで検索するのが手っ取り早い。だがネットには玉石混合、あらゆる情報が溢れかえって氾濫している。悪意ある情報、フェイク、プロパガンダ、無責任な匿名者が発信する情報も含まれている。

 本においても偽史や怪書といった類の書籍もあるが、玉石混合のネットに比べ、本は内容が精製されていると言ってよい。簡単に言えば、作者が名を名乗り、出版社が内容を精査し、世に出す価値があるかどうか=売れるかどうかの審判を受けて初めて出版されるからだ。あるいは誤った情報、不適切な表現もあるだろう。しかし、それは無責任な記述ではなく、覚悟を持って世に問うた著者の記述だ。著者は社会的な制裁、歴史の審判を受ける覚悟を持って出版しているので、情報の価値としての純度は高い。

 加えて、本は時間の流れに精製され続けていることも見逃せない。平安時代紫式部や紀元前に生きたアリストテレスの著作が現代も残っているのは、その時代の特殊性が化石のように現存しているからではない。時代を超えて普遍的な価値が認められ、だからこそ刊行された直後から読み伝えられ、先人たちの努力によって現在の私たちも本屋や図書館で手にすることができるというわけだ。

 紀元前に存在した世界のあらゆる書籍を収集したと言われるアレクサンドレア図書館は戦火によって灰となってしまい、時の為政者による焚書も度々ある中で(本は火に弱い)、現存しているということ自体、その書籍が持つ強靭な生命力というものを感じざるを得ない。絶版された著作、現存していない書籍に価値がなかったとは決して言わないが、残っている本にはそれだけの理由があるということを、自明の理ながら指摘しておきたい。

 

 

 本にはこれまでの人類の歩み、時代や地域文化を横断して、自分の周辺にはいない人々の考えや価値観が込められていると実感できたとき、私は大いに心安らぐ思いがした。自分が抱えている悩みに対する答えは本屋や図書館にきっとあるだろうと。ネット検索下手である私にとって、これは非常にありがたいことだ。

 人類の歴史の中で精製された膨大な著作物から私の暮らしのヒントとなる情報を見つける・出会うことは容易ではないこともある。簡単に見つかることもあるが。せっかく為になることが記述されていても私の読解力では理解できないこともあるだろう。しかし、人類のこれまでの経験や叡智に学ぶことができるという信頼感は、私の場合理屈を超えて精神衛生上の安らぎをもたらしてくれた。

 私のブログは本ではないし、大層なことは書けずに時を経て霧消してしまうだろう。だが、そんな私の文章にも関わらず読んで頂いている方には心からの感謝を申し上げる。さらに、読んで頂いた方の心にほんのわずかでも何かを感じて頂けたなら(批判でもかまわない)こんなに嬉しいことはない。

 本のありがたみを体感しているからこそ、読んで頂いた方の心に一瞬でも何かを灯すことができたらと思いつつ、これからも書いていきたい。

アレクサンドリア図書館は破壊されたが、2001年に再建。日本で置き換えるなら国立国会図書館(写真)になるだろうか。 日本国内で出版された全ての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館。 Photo 写真AC https://www.photo-ac.com/
Special thanks to Reelenさん